『心豊か』になる技術

仕事や家庭以外での社会との交わりを模索します

『しあわせ』とITの関係

昼休みあと20分ぐらいなので、いつもの通り、職場の食堂で一本ブログを書いてしまおうと思う。

今週、何となく、スマホでブログを始めたら、簡単にできそうなので「こりゃええわ」と通勤電車の中での暇つぶしを見つけた気分だったが、2~3日続けてみたら、色々と考えるところが出てきた。

 

テーマがうまくはまらない。

実際のところ、これ以外にメインブログもあるのでかぶらないようにしなければいけない、などと考えていたら、既に三回もこのブログの名前を変えていた。

 

『しあわせ』になる技術

 

なかなかよい。

 

しあわせ=幸せ=仕合せ、とは何だろうか?

心の問題である。

心の豊かさ=満足感が強い状況を指して居る。

 

もしかしたら、心が平穏な状態=幸せだと位置づける人も居るかもしれないが、私はその考えにネガティブだ。

 

数年前に、「貧しくても世界で一番幸せな国、ブータン」って感じなのが流行った。

よく知らんけど、単純に心が平穏な状態を幸せとすると、何も夢を持たず、とりあえず喰えていれば幸せだとする考え方だったら、そんな幸せいらんわ!って言いたくなる。

もちろん、ブータンに何か言いたいわけではない。

 

幸福感ってのは、「自分らしく」生きている状態でこそ現れると思っている。

 

また、例え「自分らしく」生きるようにしても自分自身が社会から承認されていないと、人間が社会動物である以上、「自分らしく」生きることにつかれてしまうだろう。

 

自分のスタイルを貫いても、変人扱いされるだけだし、全く他人から承認されなくても平気な人間は、発達障害とか何かだとおもう。

 

健全な人間であれば長期的な見地からみたら、『自分の夢に向けて、一生懸命努力したら、その努力は他人に認められたい』はずだ。

(他人が認めなくても、俺が正しいからやるんだ!っていう考え方は未踏の知であれば結果で後から周りの人に認められると思うけど、ずっと他人に認められずに生きていける人間って健全とは思わない)

 

自分の(経済的)価値ってのは、他人が決めるのが鉄則である。

自己の行為や自分自身が他人にとって価値が無ければ、お金を出すことはない。

なので、一生に渡って「自分らしく」生きていくためには「自分らしく」生きた結果が他人に評価されないと続かない、という点には注視する必要があるだろう。

 

曰く、『愛はお金じゃ買えないけれど、お金があれば愛は潤う』

曰く、『正義なき力は暴力。力なき正義は無力。』

曰く、『同情するなら金をくれ!』←これは違うか(笑)

というように、「自分らしく」生きるためには他人からの承認が重要となる。

 

時間があと2分なので、まとめると、このブログでは「個人が『自分らしく』生きていくために、ITを使ってどのように社会と交わっていくか!?」を試験的に実践していくことを目的とする。

 

いきなりまとめたがそういうこと。